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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)626号 判決 1981年4月27日

控訴人 国

代理人 西迪雄 都築弘 根岸利光

被控訴人 渡辺直経

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟の総費用は、第一審、差戻前の第二審、同上告審及び差戻後の第二審を通じ、被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用及び認否は、左に附加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

(被控訴代理人の陳述)

一  要素の錯誤による無効

本件土地は、台東区の端で文京区に接する辺境に位置し、台東簡易裁判所の管轄区域からみて場所的に偏在しているばかりでなく、池の端なる花街など三業地を控え、料亭や旅館が散在する間に挟まれていて、交通の便も必ずしも良くないうえ、地積が狭く、簡易裁判所に対応する区検察庁の建物等をも併設するだけの余裕がないので、もともと台東簡易裁判所の庁舎建設の敷地にふさわしくなかつたにもかかわらず、被控訴人は、右建設敷地として適格があると誤信したことによつて本件売買を契約したのである。これは、当事者間に表示された品質に関する錯誤があつたというべく、その錯誤は本件においては契約の要素に関するものであるから、この意味においても、本件売買は無効である。

二  返還の特約

本件売買契約が成立するに際し、被控訴人と当時控訴人(最高裁判所)の代理人として本件売買の交渉に当つていた弁護士八杉市松との間において、控訴人においてもし本件土地に台東簡易裁判所の庁舎を建設しないときは、被控訴人に対して本件土地及び建物を返還することを特別に合意した。ところが控訴人は、右特約が存するにもかかわらず、右庁舎建設を実行せず、昭和二八年頃には台東区二長町にある現台東簡易裁判所庁舎の増改築を行なつたうえ、本件土地及び建物を他に売却しようとしたので、被控訴人は昭和二八年中右八杉代理人を介して控訴人に対し右特約にもとづき本件土地及び建物の返還を求めた。

三  目的不到達ないし事情変更による契約の失効及び解除

本件売買は、裁判所法の制定に伴う簡易裁判所の物的設備の強化という最高裁判所の要請に応じて、本件土地を台東簡易裁判所の庁舎及びその他の施設の敷地とすることを目的として契約されたものであるところ、同裁判所の庁舎が台東区二長町の現庁舎の増改築をもつて建設されたことによつて、本件売買の目的は最終的に昭和三三年中に消滅したこと、あるいは同裁判所の庁舎等施設の敷地とすることを廃止して本件土地を民間に売却しようとしたこと、また二〇年以上空地として本件土地を放置していたことなど、このような目的不到達、事情変更によつて本件売買契約は当然に失効した。そして被控訴人は控訴人に対し昭和三三年一月を初回としてしばしば弁護士栗林敏夫によつて契約解除の意思表示をしてきた。

四  詐欺による取消

控訴人は、本件売買当時において、真実は、台東簡易裁判所の庁舎建設の具体的予定がなく、したがつて本件土地及び建物の取得が右庁舎等施設のために必要であること、右庁舎建設を早急に実行しなければならないこと、及び本件土地及び建物の取得のための予算限度が五〇〇万円であることの事情など一切なかつたのに、恰かも右のような事情があるかの如く装い、控訴人を代理して本件売買の交渉に当つた八杉市松もその事情を知らないまま、そして最高裁判所当局(主計課長畔上英治)、最高裁判所から権限の委譲を受けていた東京地方裁判所長(西久保良行)及び同所長代行(二宮節二郎)ら裁判所関係者も右真実を秘して右八杉代理人を交渉に当らせ、右虚構の事情を真実存在するかのように被控訴人を誤信させたうえ、被控訴人及びその家族が天皇及び国家に対して抱いている忠誠心を利用して、本件土地及び建物を時価の半額にも満たない低廉な額で売り渡すことを承諾させたものである。そこで被控訴人は、昭和三三年一月以降その代理人栗林敏夫によつて、控訴人に対し控訴人の詐欺による錯誤にもとづく右承諾の取消の意思表示をしてきている。

五  債務不履行にもとづく契約解除

本件売買について、控訴人(最高裁判所)側の右八杉代理人は、台東簡易裁判所の庁舎等施設のためには是非本件土地及び建物を買い受ける必要があること、そして被控訴人がこれを控訴人に売り渡すことが国家に対する忠誠心を顕わす所以であることを説いて、容易にその売却を肯んじない被控訴人側と再三折衝をかさねたあげく、代金額は予算上五〇〇万円以上絶対認められないから、時価との差額分は国に寄付(贈与)する意味で譲渡を承諾してくれるように懇請するとともに、本件土地は台東簡易裁判所の庁舎等施設の敷地に供されるものであるから、売買代金額を超える高額の贈与に対する負担として、右庁舎を昭和二六年度またはその次年度ころまでに必ず建設するものとする旨の条件を呈示したところ、被控訴人は、売買代金の額よりも、裁判所庁舎等施設という公共の用に供する土地の使用目的を重視し、その目的達成のためならば、本件土地の売却もやむをえないとする考えに傾き、あらためて右八杉代理人から、右呈示条件は最高裁判所の意向を承けたものであることの確認を得たうえ、本件売買の承諾をしたのである。そこで控訴人は被控訴人に対して右条件にもとづいて本件土地に台東簡易裁判所の庁舎を建設しなければならない債務ないし義務を負担するにいたつたものであるから、右義務は負担付贈与契約上のそれであるとともに、本件土地の利用方法に関する特約にもとづいて控訴人が被控訴人に対して負担すべき債務であるところ、控訴人において右債務ないし義務を履行しないから、被控訴人は、昭和二八年中には右八杉代理人を介してしばしば控訴人の右義務違背ないし債務不履行を責め、本件売買契約の解除の意思表示並びに本件土地及び建物の返還要求をしたし、さらに昭和三三年一月以降は弁護士栗林敏夫を被控訴人の代理人としてしばしば右同様の意思表示及び返還要求をしてきたのである。

六  本件売買における特別事情

1  今次大戦の結果裁判所の建物の焼失等がある一方、昭和二三年、二五年の裁判所法の制定・改正によつて簡易裁判所の物的設備の強化が要請され、当時の最高裁判所としてはこの要請に応えるべく、土地、建物の取得に奔走していたが、インフレということもあつて適当な物件の取得が思うに任せぬ状態にあつたので、将来裁判所関係の庁舎等施設用地の入手困難を見越して、とりあえず予算の許す範囲内で土地を買収して確保する方針をたて、その実行をしていたのである。本件売買もその一例であつたにすぎない。

2  被控訴人は、旧前橋藩主の末裔で、父渡邊直速は宮中顧問官として明治、大正、昭和の三代の天皇の側近に侍り、信任を得ていた関係もあつて、天皇の生物学研究の相談相手という環境の下にあつて父子共天皇に親炙した生活を営み、天皇及び国家に対する忠誠心は格段に篤く、本件建物へは天皇、皇族の臨幸が何回かあつて、由緒ある建物として市民からの愛着が寄せられていた。また被控訴人及びその家族も本件土地及び建物に限りない愛着心を抱いており、特に母たか子は夫直速の死後名門渡邊家の資産の管理を主宰し、これを保全することが自己の責任であると考え、将来とも手放すことのないようにと、常に語り続けていた。なお被控訴人は父直速の薫陶を受け、東京帝国大学理学部を卒えて同学部教授に就任しているが、一般社会の俗事には疎く、本件売買当時は助教授として研究のため家を不在にすることが多く、特に不動産売買に関する知識経験には全く欠けていた。

3  本件土地及び建物の取得に関し、控訴人(最高裁判所)はその権限を東京地方裁判所長西久保良行に委譲し、さらに同所長は訴外八杉市松弁護士に委託して、右八杉が控訴人の代理人として、被控訴人との間において、主に被控訴人の妻冨佐江との折衝を通じて、本件売買を成立させたのである。したがつて八杉市松に控訴人(最高裁判所)の代理権が存在し、同人が裁判所の代理人の立場で被控訴人と交渉するものであることの確認をも行つたうえで、その交渉は裁判所の意を承け、その指示のもとに行つていたのであるから、同人の交渉内容、合意の結果はすべて最高裁判所に対して法律上の効力を生ずるものである。

右のように八杉代理人と被控訴人との間において本件売買に関する合意が成立した後、それまでの双方の交渉には全く関与していなかつた裁判所職員が、最高裁判所の内部手続において売買契約書の作成が要請されていることから、その要請をただ形式的に充たすために、右合意の内容とは無関係に四通の契約書を作成しているが、もとより合意の実体を示すものではありえない。すなわち売買契約書二通(<証拠略>)のほか、売買附帯契約書二通(<証拠略>)が作成されているが、その内容は、交渉当事者間において全く協議の対象とされていなかつた事項が記載されており、契約書記載の代金額と当事者間の合意額及び支払額と相違するなど、その内容虚偽のものとみられることや、現実には全然履行されていないことなどであつて、最高裁判所に都合のよいように、単に手続を整えるための形式的なものにすぎないのであるから、八杉代理人と被控訴人との間で明らかに合意された各特約事項がこれらの契約書に記載されていなくてもこれはなんら異とするに足りない。したがつて右特約事項の内容が如何なるものであつたかはこれらの契約書によらずに明らかにされなければならない。

(控訴代理人の陳述)

一  台東簡易裁判所の庁舎は、現在、台東区二長町二六番地にあつて、法務省に所属する鉄筋コンクリート造三階建一棟、延坪二五六坪のうち、二、三階の六〇坪七合五勺を借り上げて法廷、事務室等に使用(他の部分は法務省使用)して法務局及び検察庁と同居しているほか、同所にコンクリートブロツク造平家建一棟建坪四七坪を建設して調停室等に使用しているが、このような同居の手狭な部分で、あくまで一時凌ぎの新営未着のための使用にすぎず、しかも同所敷地はいずれも法務省に所属していて、なんら本件土地上の新庁舎建設に代りうるものでないことは明らかである。庁舎の現況が以上の如くそのほとんどが法務省よりの借上げに依存している状態であるので、専用の庁舎営造用に被控訴人から購入したのが本件土地であり、この地上に台東簡易裁判所の庁舎を建築する計画は現在でもなんら変らないが、それが延引しているのはもつぱら予算上の事情と、昭和三四年に本訴が提起された後は新営予算の要求を控えている事情によるものである。なお、本件のように敷地購入を済ませながら、庁舎の新営が遅れている事例はほかにもある。たとえば、久美浜簡易裁判所の現在の庁舎については、昭和二六年に敷地を購入したが、新営予算が計上されたのは昭和四七年にいたつている。最高裁判所当局は、台東簡易裁判所についても、本件が落着次第本件土地上に庁舎新営を行なうことを決めているのであつて、被控訴人の主張する「目的不到達ないし事情変更による契約の失効及び解除(前記三)」は、いうところの目的の不到達といい、事情の変更といい、その主張事実の点で認めることができないのみならず、その理論構成の点でも到底首肯しがたい。もつとも、本件土地の購入の目的が台東簡易裁判所の庁舎施設の敷地に供することにある点は原審以来認めて争わないところである。

二  被控訴人は、返還の特約(前記二)があつたと主張するほか、昭和二八年九月中八杉弁護士を通じ、また昭和三三年一月以降しばしば栗林弁護士を代理人として、本件土地及び建物の返還、本件売買につき契約解除、詐欺による承諾の取消しの各意思表示をしたと主張するが、右の各主張事実はすべて否認する。もつとも昭和二九年二月頃、被控訴人を代理して進藤誉造弁護士が最高裁判所に対し、「土地建物買戻申請書」と題する書面で(委任状添付<証拠略>)、本件売買が代金合計五〇〇万円でなんら瑕疵なく成立したことを前提事実としたうえで、本件土地及び建物を「台東簡易裁判所庁舎に御使用ならないならば」「申請人に御返還相成りたく、右方法は建物については市価(評価)を以つて申請人において払い下げ、土地については裁判所において希望し且つ申請人において取得可能な他の土地を取得してその対等額を以つて相互交換することとしたい」旨を申し出たことがあるだけである。

三  被控訴人は、また売買契約上の使用方法の特約及び負担付贈与契約上の使用方法の負担の不履行に基づく契約解除を主張し、右主張は第一審及び差戻前第二審判決によつて認容されたところである。

しかしながら、およそ買主が売買契約によつて目的物件の所有権を取得した後にも、その所有権に基づく使用方法が制約され、代金が支払われ、引渡及び移転登記が完了した後も、なお所有権者でなくなつた売主の指示する方法でしか使用できないような債務を負い、かつ、右債務を履行しなければ売主において売買契約自体を解除することができるというような合意をすることは、通常一般の取引では極めて異例なことである。かかる買主に極めて不利益な、したがつて売主には利用方法を指示しそれに従わせるような契約上の利益を有し、買主がそれを受忍してまでも目的物件を買い受けなければならなかつたというような極めて特異かつ重要な事項につき、買主が売主に対して債務を負担するような売買契約を締結するというのであれば、注意深く、それ相応の明示的な合意がなされるべきであることはむろんのこと、かかる債務負担をしてまで売買契約をしなければならないほどの特別の事情が客観的に当事者間に存しなければならないはずである。まして、右売買契約において、当事者間で契約書が作成されているような場合には、かかる重要な、しかも一方に不利、一方に有利な事項についての合意が明記されないはずはない。まして、売買の目的物件及び代金支払の合意のように売買契約の要素となる合意のみならず、支払方法、登記並びに引渡の時期、解除権留保及び右解除事由等もろもろの附随した特約条項を明記しながら、それより重要な目的物件の利用方法の特約及び右特約不履行の場合の解除権の留保が明記されていないとすれば、そのようなことは極めて不自然なことであるから、もしかかる合意が成立していたのであれば、殊更に契約書の記載からその合意が脱落せざるをえなかつた客観的かつ合理的事由の存在が認められなければならないというべきである。

ところで、被控訴人の主張する特約なるものは本件売買の契約書たる<証拠略>はもとより、本件売買契約に関連するものとして、被控訴人が引用する書証のいずれにおいても記載されていないのである。ということは、被控訴人の主張する特約なるものは、もともと存在しないということにほかならない。

そして、上告審の差戻判決にいう、被控訴人が主張するような特約が存在するための、「特段の事情」として、被控訴人が掲げる事実は、いずれも上告審判決がそれだけでは特約の存在を認めるに足りる特段の事情とはならないとする事情のみを繰り返して述べているだけである。

四  被控訴人は、八杉市松を本件売買契約の買主たる最高裁判所の契約締結代理権者のように主張するけれども、同人が東京地方裁判所長代行に依頼され、かつ、地元法曹のために台東簡易裁判所の庁舎の建設に自ら積極的に本件土地売買交渉の仲介、斡旋を買つて出て種々協力した事実を認めるのは吝かでないが、同人において控訴人のため本件売買契約を締結する代理権限を付与されていた事実はありえない。けだし国の締結する契約については法律上契約担当官が定められており、契約担当官として定められた役職にある者のみがこれに当るべきものとされ、しかも契約書作成を法令上義務づけられているのである。そうであれば、八杉に契約締結の代理権が付与されているはずはなく、また契約書にも記載されていない内容の合意が契約担当官と被控訴人間でなされることはおよそ考えられないことであり、まして、右契約書作成の様式内容等を一切不問にして自由な特約を付してもよいというような契約の締結権限が第三者たる八杉に付与されるはずはない。

(証拠関係)<略>

理由

被控訴人と控訴人との間において、被控訴人の所有に係る原判決末尾添附第一物件目録記載の宅地二筆について昭和二六年三月に代金一五〇万円にて、同第二物件目録記載の宅地一筆、家屋一棟及び附属建物四棟について同年四月に代金三五〇万円にて、それぞれ売買契約が締結され、そのころ右の代金の支払い、目的物件の引渡及び所有権移転登記がいずれも履行されたことは当事者間に争いがない。

さて、本件売買契約の締結にあたつて、控訴人において本件土地及び建物を台東簡易裁判所の庁舎及びその他の施設の用に供する目的をもつて購入するものであることを被控訴人に対し明示していながら、契約締結いらい三〇年を経過した現在なおその目的の実現を見るにいたらないことは当事者間に争いがない。これについては、<証拠略>をあわせると、次のとおり認めることができる。

裁判所の庁舎の新営工事の着手の時期がその用地取得の時期より著しく遅延する事例をしばしばみるが、庁舎建設の緊急必要性の程度並びに優先順位、当該年度の予算(とくに施設費)の規模のほか、予算として、当時は庁舎建設の費用に比して用地購入の費用が計上し易かつたことなどから、右の時期的ずれはやむをえない傾向であり、例を挙げると、鎌倉簡易裁判所の場合は、昭和二四年度に用地を購入して庁舎建設が昭和三六年度にいたり、鉾田簡易裁判所の場合は、昭和二四年度に用地を購入して庁舎建設が昭和三九年度に延び、米原簡易裁判所の場合は、昭和二八年度に用地を購入して庁舎建設が昭和四八年度に及び、久美浜簡易裁判所の場合は、昭和二六年度に用地を購入して庁舎建設が、昭和四七年度にいたつているが、その類例は全国で十数庁の多きにのぼつている。本件の台東簡易裁判所の場合は、昭和二六年(三月及び四月)に被控訴人から本件土地及び建物を購入して新営未着の状態で経過していたところ、はからずも昭和三四年一月に本件土地及び建物の返還等を求める被控訴人の訴提起があつていらい、本訴の係属による争訟の逆睹すべからざる状況のもとで、右の新営工事を具体的に進めることができないまま、ついに二二年余を経ているが、最高裁判所は、本件訴訟が終了して控訴人の本件土地及び建物の所有権取得につき被控訴人の敗訴が確定すれば、右の新営工事の予算の計上等ただちに計画を実行に移す用意をもつて臨み、本件土地上に台東簡易裁判所の庁舎及びその他の施設を建設する当初からの計画を終始維持して現在まで変らない。

かように認めることができる。また<証拠略>をあわせると、台東簡易裁判所は、現在法務省所管の台東区検察庁及び東京法務局台東出張所の合同庁舎(台東区台東一丁目二六番二号)延二五六坪の内約一〇〇坪を借上庁舎として使用するほか、同敷地(旧台東区二長町二六番地)内に昭和三三年に建築された別棟平家建四七坪(最高裁判所所管庁舎)を使用しているが、右は本件土地上にいずれは自前の庁舎が建設されるまでの暫定的使用関係にとどまり、本件土地四〇四坪の広さをもつてすれば、中野簡易裁判所の庁舎及びその他の施設又は東京簡易裁判所のそれとほぼ同規模の庁舎等施設を擁するに十分であり、さらに、同一区内とはいえ、対応する台東区検察庁の所在地とは距離上近接する位置にないことのために本件の庁舎等施設計画が再検討されるような虞はないことが認められる。被控訴人は、本件土地は、その位置及び環境からみて、台東簡易裁判所の庁舎等施設の用地に相応しくないところであり、かつ、その不相応性は当事者間において表示されていたと主張するけれども、右の主張事実を肯認するに足りる証拠はない。

被控訴人は、法律行為の要素の錯誤を主張し(引用に係る原判決事実摘示第二、二、(一)から四まで)、控訴人が被控訴人に対して本件土地が昭和二六年度又はこれに近接する年度に着工すべき台東簡易裁判所の庁舎等施設の敷地として売買されるものであることを本件売買契約の意思表示において表示したといい、控訴人においても、右の着工年度の点を除きその主張事実を認めて争わない。しかし、右の着工年度に関する被控訴人の主張事実を肯認するに足りる的確な証拠はみあたらない。もつとも、<証拠略>によると、訴外八杉市松が、本件土地及び建物の売買について、みずから裁判所の代理人であると称して被控訴人及びその家人(主として妻冨佐江)と交渉し、被控訴人から売買の承諾を得べく、その説得に大童になつていた際、裁判所は昭和二五年度予算で本件土地及び建物を購入し、昭和二六年度予算をもつて台東簡易裁判所の庁舎を本件土地上に建設するとの言質を与えたことが認められるが、<証拠略>によると、台東簡易裁判所の庁舎の新営予算は昭和二六年度及びその頃は組まれていなかつたし、当時の予算の実績からみても、台東簡易裁判所の庁舎新営の着工年度を予定できる状況にはなかつたことを認めることができ、かつ、そのような状況にあつたことは、前認定のとおり、裁判所の庁舎新営とその用地取得との時期的ずれが著しく長期間に及んでいた当時の実情からしても十分首肯されるところであるから、ひとり台東簡易裁判所の庁舎の新営だけがその用地取得の当年度ないし次年度頃までに早急にも実現するなどとは、およそ責任ある地位の者の明言しうるかぎりのことではないというべきである。八杉市松による右の言質は、確たる根拠に基づくことなくして、不用意の裡に発せられた言葉というほかはない。しかも、あとでふれるように、同人は裁判所を代理して本件土地及び建物の売買に関し被控訴人と交渉して契約を締結する権限をもつていたわけではなく、ただ本件売買契約の成立を斡旋し、媒介する労をとつたにとどまる者である。したがつて、右の八杉の言質をもつて、本件売買契約の意思表示における表示行為と目することはできないといわなければならない。

本件売買契約について、被控訴人は、本件土地を敷地に供して台東簡易裁判所の庁舎等施設の新営を実行するものとする控訴人の計画実施がその意思表示において表示された昭和二六年度ないし次年度頃までとする期限を徒過したとして、法律行為の要素(動機)の錯誤による無効を主張し(引用に係る原判決事実摘示第二、二、(一)から(四)まで)、右の新営計画がすでに消滅したとして、いわゆる目的不到達ないし事情変更による契約の失効及び解除を主張し(本判決事実摘示(被控訴代理人の陳述)三)、かつ、返還の特約を主張し(同二)、右の新営計画がもともと存在しえなかつたものとして、法律行為の要素の錯誤(いわゆる品質の錯誤)による無効を主張し(同一)、かつ、詐欺による承諾の取消を主張する(同四)。しかしながら、すでに認定した事実によれば、控訴人における右の新営計画は当初から現在にいたるまで維持されてなんら変らないこと、本件土地は台東簡易裁判所の庁舎及びその他の施設を擁するに足りる地積を有し、かつ、その敷地たるに相応しいものであること、及び本件売買契約の意思表示において、控訴人が被控訴人に対して本件土地及び建物の購入目的が右の新営計画にあることを明示したが、被控訴人の主張する着工年度の限定まで表示したわけではないことが明らかであるといわなければならない。そうすると、被控訴人の多岐に亘る右の各主張は、すでに理由のないことが明らかであるから、いずれも採用しがたい。

被控訴人は、また、控訴人の代理人である八杉市松と被控訴人との間において、控訴人が本件土地をその敷地に供して昭和二六年度ないし次年度頃までに台東簡易裁判所の庁舎等施設の新営を実行するものとすることを特別に合意したうえで、本件売買契約を締結したと主張する。

そこで、まず八杉市松の代理権の存否について考察する。<証拠略>は、東京地方裁判所長西久保良行が八杉市松に対して本件土地及び建物の売買に関し裁判所を代理して契約を締結すべきことを委任し、その際口頭による代理権の授与がなされたと証言する。そして、本件土地及び建物の売買に関し、八杉市松がみずから裁判所の代理人であると称して被控訴人及びその妻冨佐江と交渉していたことは、まえにみたとおりであり、<証拠略>をあわせると、八杉市松は弁護士をしていて裁判所の調停委員に任命され、主として台東簡易裁判所の調停事件を扱い、同裁判所法曹会の有力なる会員で同裁判所の庁舎等施設の新営を渇望するものの一人でもあり、その候補地を物色するにあたり、恰好の物件として本件土地及び建物を紹介するにいたつたことから、西久保所長、二宮所長代行らの協力要請もあつて、本件土地及び建物の売買実現のために、売主である被控訴人ととくにその妻冨佐江の説得に挺身これ努めた甲斐あつて、本件売買契約が成立するにいたつたことを認めることができるが、しかし、八杉市松がその媒介の労をとつたにとどまらず、控訴人を代理して契約を締結するまでに及んだという趣旨の<証拠略>は、以下の説示に徴してにわかに信用しがたい。

本件売買契約がそうであるが、国の支出の原因となる契約その他の行為すなわち財政法三四条の二第一項に規定する支出負担行為は、裁判所においては、最高裁判所長官の管理に属し(会計法一〇条)、最高裁判所長官は、他の職員に委任して、支出負担行為をさせることができる(同法一三条)。そして最高裁判所長官又はその委任を受けた職員すなわち支出負担行為担当官が支出負担行為をしようとするときは、当時は、昭和二七年法律四号による改正前の会計法一三条の二第二項の規定により、最高裁判所長官が指定する支出負担行為認証官(支出負担行為の認証の職務は、支出負担行為の職務と相兼ねることができない(同法一三条の五)のを原則とする。)に当該支出負担行為の内容を表示する書類を送付してその認証を受けた後でなければ、その支出負担行為をすることができない。支出負担行為の掌理上このような組織権限となつているから、支出負担行為担当官は、自己の判断と責任に基づいてその所掌に係る支出負担行為に関する事務を処理しなければならない職責を負う者とされ、さらに他の職員又は職員以外の者に委任して、支出負担行為の職務を代理せしめることができないものと解すべきである。ところで、<証拠略>をあわせると、東京地方裁判所の所轄に属する台東簡易裁判所の庁舎及びその他の施設の用に供すべき土地の購入については、当初から用地購入の契約締結すなわち支出負担行為は最高裁判所支出負担行為担当官の職務権限で行なうこととし、その契約締結にいたるまでの目的物件の選定、売主との交渉などは東京地方裁判所の司法行政上の所掌に属することとして権限の所在及び分担を明確にしたうえ、東京地方裁判所長西久保良行、同所長代行二宮節二郎及び同裁判所事務局長鬼澤末松らは、最高裁判所支出負担行為担当官の所掌に係る支出担当行為に関する事務を補助し、これに協力するものとして、本件売買契約においても、その契約締結の準備段階に従事することに終始したことが認められる。そして本件売買契約については、あとでふれるように、まず大蔵省当局と協議し、その協議に基づいて調えられた契約案に従つて契約を締結することを要するところ、<証拠略>をあわせると、裁判所及び大蔵省間の協議手続は、東京地方裁判所長と関東財務局長との権限事項として処理され、右の協議によつて後記認定の本件不動産売買契約書二通(<証拠略>)の原型たる契約書案が調製されたことが認められる。以上の各認定事実によれば、西久保所長は、本件売買契約に関する東京地方裁判所と最高裁判所との前記権限の所在及び事務の分担に従い、その所掌事務の処理として、関東財務局長との協議資料たるべき契約書案を作製し、その協議を経て調えられた契約書案を最高裁判所支出負担行為担当官に送付しなければならないこと、及び右の協議によつて調製された契約書案に従つて本件の不動産売買契約書二通(<証拠略>)が作製されることをあらかじめ知悉していて、かつ、右のような事務処理の過程に緊密にかかわりあつていたということができるから、右の事務処理の過程のさなかで、西久保所長が、八杉市松に対して本件土地及び建物の売買契約に関する代理権を授与し、これによつて本件不動産売買契約書二通(<証拠略>)の原型たる契約書案とは異別の契約の締結を委任するなどとは、到底ありうべからざることというべきである。前顕<証拠略>は措信しがたい。

また、当審における本人供述(第二回)のなかで、被控訴人は、八杉市松が裁判所の代理人であることについては、被控訴人がみずから二宮所長代行にこれを確めたと述べるけれども、右の本人供述は、これに反する<証拠略>に照らして、にわかに措信しがたい。ほかに被控訴人の主張する八杉代理権の存在を認めるに足りる証拠はない。

本件土地及び建物の売買に伴い、本件売買代金の支払以外に控訴人の被控訴人に対する債務ないし義務として、控訴人が昭和二六年度ないし次年度頃までに本件土地上に台東簡易裁判所の庁舎等施設を建設しなければならないこととした特別の合意約款が存在することについて、右の代理権の行使によるもののほか、被控訴人の主張及び立証はない。そうすると、控訴人の債務不履行ないし義務違反に基づき本件売買契約を解除したとする被控訴人の主張は、さらに進んで判断するまでもなく、すでに理由のないことが明らかであるから、これも亦採用しがたい。

なお、本件売買契約の成立自体は、はじめにみたとおり、当事者間に争いのないところであるが、被控訴人は、本件売買契約について、<証拠略>の各不動産売買契約書(二通)は、契約締結当事者の合意の実体を示すものでなく、ただ最高裁判所の内部手続上の要請を充たすために作成された形式的文書にすぎないものであると主張するので、以下補足する。

<証拠略>に前記認定事実をあわせると、当時最高裁判所支出負担行為担当官は、最高裁判所事務総局経理局主計課長畔上英治であつたので、同担当官が東京地方裁判所長及び関東財務局長間の協議を経て調製された本件土地及び建物の売買に関する契約書(案)について、さらに最高裁判所支出負担行為認証官の認証を受けた後、その所掌に係る支出負担行為として、右の契約書(案)に則つて<証拠略>の不動産売買契約書二通を作製させ、かつ、これに右の担当官たる畔上主計課長と被控訴人との記名押印を調えさせたことを認めることができる。そして、昭和三七年政令三一四号による改正前の予算決算及び会計令六八条から七〇条までの規定により、除外事由がないかぎり、契約書の作製が義務づけられている(なお、本件は三〇万円を超える契約であるから、除外事由として、最高裁判所長官が大蔵大臣と協議して協議が調つたこと、及び大蔵大臣が右の協議結果を会計検査院に通知することとしており、したがつて右の協議及び通知が履践されないかぎり、契約書の作製を省略することができないところ、右の除外事由があつたことを認めるに足りる証拠はさらにない。)のであるから、特段の事情のないかぎり、本件売買契約は、右の不動産売買契約書二通に支出負担行為担当官畔上主計課長及び被控訴人の記名押印が調えられたときをもつて成立したものというべきである。このように、会計法上の制約、すなわち支出負担行為である契約の締結行為の主体たるべきもの及びその遵守すべき方式という視点から、本件売買契約における当事者の合意の内容は、すべて右の不動産売買契約書二通の記載事項をもつて名実共に自足完結するものというべきである。そして、被控訴人の主張する特別の合意すなわち控訴人が本件土地上に昭和二六年度ないし次年度頃までに台東簡易裁判所の庁舎等施設を建設することとする特別の合意約款の記載は、右の不動産売買契約書二通に一切存しないことが前掲<証拠略>により明らかであるから、本件売買契約に関するかぎり、被控訴人が主張する特別の合意約款はもとより存在しないというのほかはない。これに反する被控訴人の主張はその根拠を見出すことができない。

さらに、被控訴人は、その主張の特別の合意が成立するにいたつた経緯につき特別の事情の存することを主張するけれども、本件売買契約に被控訴人が主張するような特別の合意約款を織り込むことは、本来国有財産法に定める行政財産の管理上の規制からしても、到底実現しえないものというべきである。というのは、前掲<証拠略>によつても認められるとおり、本件売買契約は、これによつて裁判所が行政財産(公用財産)とする目的で本件土地及び建物を取得しようとするものであるから、その契約の締結については、あらかじめ大蔵省当局と契約書案等の関係書類をもとに協議し(昭和二八年法律一九四号による改正前の国有財産法一四条一項一号)、その協議によつて調えられた契約条項(案)に従つて契約を締結することを要するところ(ここに国有財産の総括の機関である大蔵大臣の管理作用をもみるわけである。)、とくに行政財産は、国の行政目的を遂行するための物的手段であり、国有の公物であるから、普通財産のように処分することは認められず、もつぱら管理すなわち財産を取得し、その存立を維持し、当該財産をその目的に供用し、行政財産本来の目的を達成させることについて、種々の制約を受けるのであつて(いわゆる公物の不融通性)、行政財産を貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、もしくは出資の目的とし、又はこれに私権を設定することができないこととする規制の原則的適用が対私人関係においてとくに厳格であることから、国が行政財産とする目的で私人の所有の土地又は建物を売買によつて取得しようとする場合において、当該売買契約に伴い代金の支払以外に債務を負担することを合意することにより、当該土地又は建物の所有権に基づく使用、収益及び処分の権能を制約することは、行政財産としては、同法一八条の処分等の制限の趣旨から、法律で特別に認められないかぎり、これをすることができないと解するのを相当とし、右のような権利に瑕疵ある土地又は建物を取得しても、これを行政財産とすることができる筋合のものではないからである。したがつて、本件土地及び建物を台東簡易裁判所の庁舎等施設の用に供する目的をもつて売買契約を締結するものとしながら、その契約において、控訴人が昭和二六年度ないし次年度頃までに右の庁舎等施設を建設することを被控訴人に対する債務ないし義務として負担することとする一方、他方被控訴人が控訴人の右の債務の不履行ないし義務の違背に基づいて本件土地及び建物の返還を請求することができることとする特別の合意約款を設定することは、それ自体目的と手段との自家撞着に陥いるものというべきであり、被控訴人の主張する特別の事情の如何にかかわらず、控訴人が本件売買契約により行政財産とする目的で本件土地及び建物を取得しようとするかぎり、被控訴人が本件売買契約において右の特別の合意約款を設定しようとすることは、行政財産の管理上の規制から到底容れられないものといわなければならない。

以上の理由説示によれば、被控訴人の控訴人に対する請求は理由がないから、これを失当として棄却すべきである。よつて、これと結論を異にする原判決中控訴人敗訴部分を不当として取り消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中川幹郎 野田宏 真榮田哲)

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